宗佑磨選手は、2014年にオリックスに入団した内野手です。
明るいキャラクターの持ち主で、ファンから愛されています。
同じく明るいキャラクターの選手が、
2023年に入団したね!
主に三塁手として活躍している宗佑磨選手は、2021年から2023年までゴールデングラブ賞を3年連続で受賞。
ベストナインも同時期に受賞しています。
そんな宗佑磨選手は外国人の父親と日本人の母親を持つハーフです。
今回は、宗佑磨選手の両親や、親子エピソードについて紹介していきます!
母親とのエピソードは面白いものばかりなので、是非ご覧ください♪
宗佑磨選手の父親はどんな人?国籍はどこ?
宗佑磨選手の父親は、名前や顔写真、年齢は明かされていませんでした。
父親は、ギニア人で国立バレエダンサーとして活躍していました。
そのため、現在はバレエの指導者をしている可能性が高いでしょう。
しかし、宗佑磨選手が1歳の頃、両親は離婚しています。
そのため、宗佑磨選手は父親に関する思い出はなく、母親1人で育てられました。
そこから母親は再婚していないので、宗佑磨選手は1人っ子です。
宗佑磨選手は幼少期、肌の色でからかわれることもありました。
あまり小学生時代は良い思い出がなかった宗佑磨選手ですが、ギニアにルーツを持つ父親について悪い思いは無いようです。
父親のルーツを感じるため、中学3年生の時にガーナの首都アクラを訪問。
凄い行動力…
からかわれたことがあったら、父親が嫌になってもおかしくないよね…
現地の呪術師に授けられた「ジョパタ」という幸運のブレスレットをもって入寮しました。
ブレスレットに効果があったのか、宗佑磨選手は高校時代に入団してから打撃が好調に。
オリックス入団後はリーグ3連覇、2年連続日本一達成を経験することができました。
現在父親は、宗佑磨選手の活躍を知っているのか気になりますね。
宗佑磨選手の母親はどんな人?経歴が凄い!
宗佑磨選手の母親はミカさんという名前です。
2014年時点で51歳だったため、2024年シーズン終了時点で60歳か61歳だと思われます。
母親は現在セラピストとして独立しています。
宗佑磨選手も母親から施術を受けることがあるとか。
セラピストとして独立する前は、7歳からクラシックバレエを習っていた経歴を活かし、フラメンコやサルサの歌手として活動しながら、音楽事務所で外国人音楽家の企画、招聘を行っていました。
アフリカ音楽に興味があった母親は、1992年頃にセネガルへ渡りました。
そこで縁があり、宗佑磨選手の父親と結婚。
離婚理由については明かされていませんでした。
ただ、バレエダンサーとして世界を飛び回る夫と結婚している意味が分からなくなってしまったのかもしれませんね。
離婚後は派遣で保険会社や食品会社に勤務しながら、宗佑磨選手を育てました。
30代の頃には実家がある大阪市に引っ越し。
両親に宗佑磨選手の子育てを手伝ってもらいながら、セラピストの資格を取得しました。
宗佑磨選手を女手1人で育てたことについて、
「精神的につらい時期もありましたが、それを支えてくれたのは佑磨の存在でした。
『佑磨を守る』。
その使命感が私を奮い立たせてくれました。」引用:日刊ゲンダイ
と語っています。
宗佑磨選手は、母親としてだけではなく、父親や兄のような存在になってくれた母親に感謝していると語っています。
一度は宗佑磨選手を育てるために横浜へ移住しました。
現在は、宗佑磨選手が愛車で行けるぐらいの距離に住んでいるとか。
母子家庭で育ったからこそ、宗佑磨選手と母親の絆はとても強そうですね。
宗佑磨選手と母親のエピソード紹介!母親のキャラの濃さがすごい!
宗佑磨選手は母親との絆を感じさせたり、笑えたりするエピソードが多くあります。
また、宗佑磨選手と母親のエピソードはファンをほっこりさせています。
今回は、宗佑磨選手と母親のエピソードについて、いくつか紹介していきますので是非ご覧ください♪
母親の呼び方はママじゃないと嫌!?
宗佑磨選手は母親のことをママと呼んでいます。
大人になっていくにつれ、ママと呼んでいたとしてもお母さん呼びになっていく人は多いのではないでしょうか。
宗佑磨選手は恥ずかしくなったのか、何度かお母さんと呼ぼうとしたことがあります。
しかし、母親からは、
ママって呼びなさい!
と怒られてしまったとか。
お母さんではなくママと呼んでもらった方が、いつまでも若々しくいられるような気がするのかもしれません。
宗佑磨選手がほっこりする声出し!
2024年4月10日、京セラドームで行われた対楽天戦で声出しをした宗佑磨選手。
この日、母親がバックネット裏で観戦していました。
母親が観戦していると知っていた宗佑磨選手は、「今日はおかんが来ています!」と声出し。
「おかん頑張るよー!」
と手を振り出し、チームメイトも一斉に手を振り出しました。
この姿を見ていたファンからは、
お母さんが羨ましい!
親孝行な息子だ!
との声が上がりました。
宗佑磨選手は「おかん」を連呼した声出しについて、
「恥ずかしくないんで、そういうの。(恥ずかしいと思うのは)日本がおかしいんですよ。」
引用:Number Web
と語り、母親との仲の良さを感じさせました。
この日の試合で宗佑磨選手は猛打賞を記録。
ヒーローインタビューの際は、
「おかんが来てくれていたので!(笑)。
おかんが観に来てくれた試合、結構打てているイメージ。
だから、今日も絶対に“おかんパワー”です!」引用:Full-Count
と語り、シーズンシートを持っている選手から偶然いい席を譲ってもらい、母親が観戦できたことも告白していました。
もし、宗佑磨選手の言うことが本当であれば、宗佑磨選手がスタメン起用される試合は毎試合でも母親に現地観戦しに来てほしいですね!
母親のごはんを食べたい宗佑磨選手VS高い料理を食べに行きたい母親
宗佑磨選手は母親の作ってくれるご飯が大好き。
「おかんのご飯、なんでも美味しいです。
天ぷらとかも作ってくれますよ。
あまり油物は摂らないようにしていますけど、母親が作るご飯は、味も栄養も安心して食べられる。
まずいと思ったことなんて1回もないです。
僕の家庭の味がします。
全部、本当に美味しいです」引用:Full-Count
聞いてるだけで、お母さんが作るご飯食べたくなるね!
未だにオフの前日やデーゲーム終了後、週末のご飯は母親に作ってもらうこともあるとか。
母親も宗佑磨選手が来るのを楽しみにしているようで、親子間で一番多いLINEでのやりとりは、
母親「次いつ?」
宗佑磨選手「また行く!」
だそうです。
仲の良い親子ですが、母の日となるとちょっとしたバトルが勃発するとか。
母親はお高いレストランで食事をしたいと思っているのですが、宗佑磨選手は拒否。
理由は、母親の料理が食べたいから。
それはそれで母親は嬉しいよね!
基本的に母親が折れて、料理を作ることになるそうです。
いつかはリッチな食事に連れて行ってあげてね…
プロ野球選手になったばかりの頃、宗佑磨選手は母親から、
「いつもあんた外食ばかりでしょ?
うちでは味の薄いものを食べていきなさい」引用:Full-Count
と嬉しい注意を受けたとか。
注意ではあるものの、宗佑磨選手にとっては母親からの愛情を感じられる一言だったのではないでしょうか。
母親の食事があったからこそ、宗佑磨選手はプロ野球選手になるまで成長できたのでしょう。
宗佑磨選手はギニア人の父親と日本人の母親を持つハーフ!母親とは現在も仲良し!
宗佑磨選手の実家家族構成は母親のみです。
国立バレエダンサーとして活躍していたギニア人の父親と、母親ミカさんの元に生まれたものの、宗佑磨選手が1歳の時に離婚。
母親は宗佑磨選手を女手一つで育て上げるため、派遣会社で働いていましたが30代の頃に一念発起してセラピストの資格を取得。
現在も仕事を続けているそうです。
宗佑磨選手と母親は横浜で育ち、プロ入団後は宗佑磨選手が大阪、母親が横浜で暮らしていました。
しかし、母親としては宗佑磨選手が巣立った後、仕事の意義を感じられなくなり大阪に戻ってきました。
現在は宗佑磨選手が愛車で通える距離に住んでいます。
宗佑磨選手は母親から「ママって呼んで!」と言われているため、現在も母親のことはママ呼び。
母親の料理が大好きな宗佑磨選手は、母親のもとで料理をごちそうになることも多いそうです。
しかし、母の日はリッチな料理を食べに行きたい母親と、母親の料理が食べたい宗佑磨選手でちょっとしたバトルが勃発してしまうとか。
仲の良さが感じられて微笑ましいですね。
2024年4月10日は声出しで「おかん」を連呼したことで話題になりました。
この日の試合で猛打賞を記録した宗佑磨選手は、ヒーローインタビューで「おかんパワー」だと力説。
宗佑磨選手はによると、母親が現地観戦している日によく打つとのこと。
母親には毎試合現地観戦してもらいたいですね!
最後までご覧いただきありがとうございました!