西川史礁(みしょう)選手の両親・きょうだいについて調査!2024年ドラフト1位でロッテに入団!実家は金持ち?

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西川史礁選手は、2024年に行われたドラフト会議でロッテとオリックスから1位指名を受けた外野手です!

競合の末、ロッテに入団することになり、即戦力として注目されています。

高校までは遊撃手でしたが、大学からは外野手に転向。

細身な体だった西川史礁選手は、大学4年間で積み上げたウェイトトレーニングによりパワーヒッターに成長しました。

2024年3月に行われた、「カーネクスト 侍ジャパンシリーズ2024 日本vs欧州代表」では、日本代表に選出されています。

ロッテの外野手のレギュラーとなる日も近いかもしれませんね♪

今回は、西川史礁選手の両親やきょうだいについて調べました!

西川史礁選手の実家にある練習場についても解説しています♪

ぜひ最後までご覧ください♪

ロッテに同期入団したイケメン、一條力真選手の家族についてはこちら!

西川史礁選手と同じ青山学院大学出身!

2024年ドラフト1位で広島に入団した佐々木泰選手についての記事はこちら!

西川史礁選手の父親は社長だった!?

西川史礁選手の父親は、凌滋さんという名前です。

年齢は、吉井理人監督と同い年と明かされているため、1965年生まれだと思われます。

父親は、和歌山県の建設会社である株式会社西川組の社長!

顔写真は明かされていませんでしたが、西川史礁選手に似た顔つきかもしれませんね♪

西川史礁選手から、家族が巨人ファンであることが明かされています。

そのため、父親は息子が野球を始めることを、かなり喜んでいたのではないでしょうか。

何でも知りたい女の子
何でも知りたい女の子

西川史礁選手が阪神に入団していたら、複雑な心境だったかも…?

西川史礁選手のロッテ入団が決定した際、父親は、

「私はロッテの吉井理人監督と同い年で、同じ和歌山県出身です。
息子が吉井監督のもとで野球ができるのは心強く感じます。
これからは野球が職業になるので、もっと精進して、プレーも人間性も一流になってファンに愛される選手になってほしい」

引用:NHK

とコメントしており、ロッテ入団に縁を感じているようでした。

父親は、仕事から帰宅すると、毎日のように西川史礁選手の自主練に付き合っていました。

中には、会社関係の会食でお酒を飲んで帰る日もありましたし、仕事で疲れた日もあったでしょう。

しかし、父親は絶対に自主練に付き合うのをやめませんでした。

「毎日やるクセをつけないと、『今日はなし』とお互い妥協したら終わりです。
自分の都合で投げんわけにいかん」

引用:日刊ゲンダイ

このコメントから、父親の真面目な性格が伝わってきます。

西川史礁選手の性格について父親は、「優しい性格」「自分とは全く似ていない」「でも野球になるとスイッチが入る」と語っています。

そして、小学1年生という野球を始めたての頃から、レギュラーを取っていたとのこと。

西川史礁選手の才能は、父親が練習に付き合い続けたことで、さらに開花していったのでしょうね。

会社経営にも、自主練にも向き合い続ける父親がいたからこそ、西川史礁選手はプロ野球選手になれたのかもしれません。

西川史礁選手の父親が作り上げた”甲子園”とは!?実家の金持ちぶりが明らかに!

西川史礁選手の実家には、父親が作った練習場があります。

建設業の特権を生かし、西川史礁選手がまだ幼稚園児の頃、280坪の自宅の敷地内に20坪の練習場を作りました。

足場を黒土で固め、少年野球用のプレートと硬式野球用のプレートを埋め込み、夜間も使用できるように照明もつけた練習場は、自宅内にあるものとは思えないほど作りが豪華です。

黒土にしたのは、甲子園の土のイメージを伝えたいという父親の思いがこもっています。

網で囲ったバッティングスペースは、ボールが突き破って近所に飛んで行かないように何重にも重ね、補修を欠かさなかったそうです。

父親によると、この練習場を業者に依頼して作ってもらう場合、数百万単位のお金が必要とのこと。

練習設備に対して父親は、どこの家庭にも負けないと自信を持っています。

解説お兄さん
解説お兄さん

父親が筋トレ趣味なおかげで、
実家にプチトレーニングルームができている選手なら、
西川史礁選手の先輩にいるけどね…

父親は、1日に200球以上ボールを投げ、毎晩打撃練習に付き合っていました。

西川史礁選手はバッティング練習を楽しみにしており、少しでも帰りが遅いとLINEで催促されたそうです。

「ボールも照明も用意して待っとるんです。
家に近づくと、照明がついとるのが見えて、ブンブンとバット振って待っとる。」

引用:日刊ゲンダイ

毎日練習し続けることの大切さを、西川史礁選手は幼少期から分かっていたのでしょう。

西川史礁選手の母親はどんな人?

西川史礁選手の母親は、マリさんという名前です。

母親は、1969年生まれか1970年生まれだと思われます。

両親の年齢は4、5歳差です。

顔写真については明かされていませんでした。

母親の職業は、株式会社西川組の事務です。

両親は会社の仲間としても、助け合える関係なのでしょう。

西川史礁選手の性格は、父親とは似ていないとのことだったので、母親似かもしれません。

母親関連のエピソードはほとんど明かされていませんでしたが、西川史礁選手は好きな料理を聞かれた際に唐揚げだと答えています。

もしかしたら、唐揚げはおふくろの味かもしれません。

現在は寮生活をしている西川史礁選手ですが、帰省した際は唐揚げを楽しむかもしれません。

また、西川史礁選手は小学生の頃から野球を始めていますから、クラブチームの送迎は母親が行っていた可能性があります。

そして、母親も巨人ファンの可能性が高いでしょう。

いつか、西川史礁選手の姿を見に来る両親の姿が、球場で見られるかもしれません。

西川史礁選手にきょうだいはいる?兄も野球経験者!

西川史礁選手には、兄と姉がいます。

姉の名前はひかるさんです。

名前以外の詳細は明らかになっていませんでした。

現在は一般企業に勤めている可能性が高いでしょう。

兄の名前は藍畝(らんせ)さんです。

西川史礁選手の4歳年上です。

現在は一般企業の営業職を務めています。

西川史礁選手と肩を組んでいる2ショットが検索すれば出てくるため、顔写真は公開されています。

西川史礁選手は、高校も大学も兄と同じ学校を選びました。

兄が青山学院大学に入学した頃、青山学院大学野球部は、東都大学野球リーグで1部から2部に降格するほど低迷していました。

兄が4年生になり、野球部主将を務めた年に、青山学院大学は再び1部昇格を勝ち取ったのです。

西川史礁選手は、兄と入れ替わりで青山学院大学野球部に入部したものの、なかなかレギュラーになれない日々が続きました。

ただ、ウェイトトレーニングなどの努力が実を結んだのが3年秋。

西川史礁選手は、4番打者として定着したのです。

そして、3年次に春季リーグ・秋季リーグ連覇、全日本大学野球選手権大会で優勝を経験。

青山学院大学野球部は、西川兄弟のリレーで立ち直ることができました。

兄も、青山学院大学野球部が競合になったこと、西川史礁選手がプロ野球選手になったことを心から喜んでいることでしょう。

兄の思いを受け継ぎ、青山学院大学で4冠を経験した西川史礁選手。

ロッテでも優勝請負人として活躍してほしいですね!

西川史礁選手の父親は建築会社の社長!実家には練習場がある!母親は事務をしている!兄は野球経験者!

西川史礁選手の実家家族は、両親と姉1人、兄1人です。

巨人ファンの家庭のため、野球選手に憧れる機会が、西川史礁選手は幼少期から整っていました。

建築会社の社長だった父親は、甲子園の土の感触を味わってもらおうと黒土を仕入れ、少年野球用と硬式野球用のプレートを埋め込み、照明もつけるという本格的な野球場を作りました。

父親は会社から帰宅後、息子達の自主練に毎日付き合っていました。

どれだけ疲れていても、お酒が入っていたとしても、自主練を断ることはしなかったそうです。

また、息子達も自主練のために帰宅する父親を待ち構えていたのだとか。

練習の大切さを、父親からしっかり教わっていたのでしょう。

母親は、父親が社長を務める建築会社の事務員をしています。

母親に関するエピソードは現在明らかになっていませんが、西川史礁選手の好きな食べ物は唐揚げのため、もしかしたらおふくろの味かもしれません。

兄も大学生まで野球をしており、青山学院大学野球部主将を務めていた経験があります。

西川史礁選手は兄の背中をずっと追いかけており、兄と一緒の学校に進学しています。

いつか、西川史礁選手と兄の対談を見てみたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました!


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