田村俊介選手は、広島期待の若手外野手です。
2023年は怪我、2024年は不調で思うような成績が残せませんでした。
期待がかかる2025年シーズン。
4月5日に代打出場するとプロ初ホームラン。
しかもサヨナラホームランだったため、しっかりとチームの勝利に貢献しました!
プロ初ホームラン=サヨナラホームランというのは、球団初の快挙だったのだとか。
プロ3年目の飛躍に、期待している広島ファンは多いのではないでしょうか?
今回は、田村俊介選手の家族について調査しました!
幼少期のエピソードも併せて紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください♪
田村俊介選手の父親のエピソードは?
田村俊介選手の父親は、俊之さんという名前です。
おそらく、田村俊介選手の”俊”の文字は、父親からとられたものでしょう。
父親は2021年末の時点で54歳だったため、1967年生まれだと思われます。
現在は実家がある舞鶴市で建築関連の会社に勤めているそうです。
田村俊介選手は幼少期から野球が大好きで、父親に「野球をするために生まれてきた子」と評されるほどでした。
土日は少年野球の練習に参加していたものの、田村俊介選手にとっては練習量が足りなかったのか、練習終わりに父親と1時間かけてバッティングセンターに通ってから、スーパー銭湯に入って帰宅するのが日課だったそうです。
少し息抜きをさせたいと考えたのか、父親は温泉に誘おうとしたことがあるのですが…
『練習を休んで買い物に行こうか』と言っても『2人(母と)で行って』と言われてましたね」
引用:デイリー

田村俊介選手としては、
温泉に行くより野球をしたかったんだね!
ドラフト会議前、田村俊介選手のもとに家族がかけつけており、父親から緊張しているかどうか聞かれても、
「緊張していない」
と答え、この頃から大物っぷりを発揮していました。
田村俊介選手の名前が呼ばれた瞬間、父親は涙を流していました。
「ほっとして体の力がスッと抜けました。涙も出ましたね」
引用:FNNプライムオンライン
父親にとっては、息子の晴れ舞台。
田村俊介選手に、野球を続けさせてよかったと思ったのではないでしょうか。
田村俊介選手のために設置された防球ネットとは?中学寮生活を決断した際の父親の反応は?
小学1年生の頃から通い始めたバッティングセンターでは、最初は時速80㎞の球を打っていた田村俊介選手。
しかし、6年生になると150㎞の球を打つようになっていました。
また、体格が恵まれていたため、小学5年生の頃から強豪中学野球部からのスカウトがあったのだとか。
あまりにも田村俊介選手のホームランが飛びすぎるため、小学校で練習している際、近所の家のガラスを何度も割ってしまったのそうです。
割るたびに田村俊介選手と両親は謝罪に訪れていたのだとか。
「右翼後方の家の窓ガラスは全部割りました。
俊介を小さい頃から知っている方なので『何枚割ってもいいですよ』と言ってもらってはいましたが、弁償が大変で」引用:朝日新聞
そのため、田村俊介選手は、学童軟式野球の西日本大会で準優勝して舞鶴市役所に表敬訪問した際、市長から困っていることがないか聞かれたため、
「僕の打球がフェンスを越え、家のガラスがよく割れるので困っています」
引用:朝日新聞
と田村俊介選手は正直に話し、市長は高さ12mの防球ネットを設置。
しかし、それでもボールは超えてきてしまったそうです。

田村俊介選手専用だね!

凱旋訪問する時があれば、またガラスを割っちゃいそうだね。
田村俊介選手は、大好きな野球を極めるため、ある決断をします。
普通であれば、小学校卒業後は、地元の中学校に進学するはずですが、田村俊介選手は野球が強い高知県の明徳義塾中学に行きたいと言い始めたのです。
田村俊介選手の希望を聞いた父親は、
「分かった。行ってこい。でも絶対にやめるな」
と、田村俊介選手の希望をきくことにしたのです。
父親が反対していれば、田村俊介選手は野球漬けの人生を送れていなかったかもしれません。
田村俊介選手の母親のエピソードは?おふくろの味は?
田村俊介選手の母親は、安代さんという名前です。
2021年末時点で48歳だったため、1973年生まれだと思われます。
職業については明かされていませんでした。
田村俊介選手は、中学時代から親元を離れ、中学3年生で最後の野球大会を終えると、舞鶴市に戻ってきたものの、愛知県の高校に進学。
小学校以降、家族と過ごす時間が少なかった田村俊介選手。
野球を極めたいという田村俊介選手の気持ちに理解しているものの、母親は、「寂しいし心配」と思っていたそうです。

母親からすれば、そりゃそうだよね…

少なくとも中学生までは、
実家で過ごすと思ってただろうしね…
ドラフト会議の様子を見守っていた母親は、田村俊介選手の名前が呼ばれた際、
「嬉しくて舞い上がっちゃいました」
引用:FNNプライムオンライン
と笑顔で語っていました。
田村俊介選手も、心配させていたことは分かっており、
「中学校から離れて寮生活して、その分寂しい思いとかさせたと思うんですけど、今日こうして選んでもらって、少しは恩返しできたかなと思います」
引用:FNNプライムオンライン
田村俊介選手にとって、おふくろの味はキンパとハンバーグとのこと。
現在寮生活を送っている田村俊介選手。
実家から帰った時は、キンパとハンバーグを用意されているのではないでしょうか!
田村俊介選手にきょうだいはいる?
田村俊介選手には、姉が1人います。
姉の名前は安優(あゆ)さんです。
安優さんの”安”の字は、母親からとられたのかもしれませんね。
年齢や職業については明かされていませんでした。
年齢を考えると、一般企業勤めの可能性が高いでしょう。
姉によると、田村俊介選手は幼少期から負けず嫌い。
姉弟で対決する遊びでは、田村俊介選手が勝つまで行うことが多かったそうです。
負けず嫌いな性格を分かっているからこそ、家族は田村俊介選手を安心して野球の道へ送り出せたのでしょう!
田村俊介選手は姉弟エピソードをあまり明かしていませんでしたが、2024年に姉に影響を受けているのではないかという発言がありました。
2024年にマツダスタジアムで発売されたプロデュースメニューを担当した田村俊介選手。
担当したメニューは、とても可愛らしいマカロンパフェでした。

ちなみに、田村俊介選手はメニュー名を決められず、
スタッフに全任せした結果、
「大好物のマカロンにキュンです♡
たむたむのマカロンパフェ♪」
…に決定していたよ。

…多分次にプロデュースメニューを決めるオファーがあったら、
田村俊介選手は頑張ってメニュー名を決めるだろうね…
田村俊介選手によると、物心ついた時からマカロンが好きだったとのこと。
中学生の時から寮生活を送っていたことを考えれば、マカロン好きは姉の影響の可能性もありそうですね!
田村俊介選手の家族が2025年本拠地開幕戦を観戦!
マツダスタジアムでの本拠地開幕戦が行われた2025年3月28日。
結果は35年ぶりの完封負けとなってしまいました。
試合前、田村俊介選手の家族を大量に買う家族がいたため、広島テレビのアナウンサーが声をかけたところ、まさかの田村俊介選手の家族だったそうです!
母親は、「ケガしないで頑張ってほしい」と、ケガで出場できなかった2024年を悔しく思っているようでした。
姉は「頑張って!期待しているよ!」とエールを送っていました。
アナウンサーによると、父親は背が高かったそうです。
田村俊介選手の恵まれた体格は、父親譲りなのかもしれませんね。
残念ながら、サヨナラホームランを打つ田村俊介選手を、スタジアムで見ることはできませんでした。
ぜひ田村俊介選手には、レギュラーになってもらい、ファンも家族も喜ばせるような活躍を見せてほしいですね♪
田村俊介選手の家族は中学から親元を離れるのを許していた!父親は謝罪行脚!?母親はさみしがりや?姉の影響でマカロン好き!?
田村俊介選手の実家家族構成は、両親と姉1人です。
田村俊介選手は、小学生の頃から野球の練習が大好きでした。
そのため、両親から練習を休んで一緒に温泉に行こうと誘われても、断っていたのだとか。
また、幼少期から恵まれた体格の持ち主だった田村俊介選手は、小学5年生の時点で中学野球部の指導者からスカウトが来ていました。
小学校で野球の練習をしていたところ、近くの家のガラスを何度も割ってしまい、両親は田村俊介選手と謝りに行き、弁償に追われていたそうです。
中学から親元を離れる決断をした田村俊介選手の夢を、父親は尊重したものの、母親は当時とても寂しかったと語っています。
田村俊介選手は、母親の思いを理解しており、プロ入りできたことで恩返しできたのではとコメントしていました。
姉によると、田村俊介選手は昔から負けず嫌い。
姉弟でバドミントンをした時も、田村俊介選手が勝つまで続けていたそうです。
中学から寮生活を送っていた田村俊介選手ですが、2024年にマカロン好きが明らかになりました。
マカロン好きは、もしかしたら姉の影響かもしれません。
2025年本拠地開幕戦は、田村俊介選手のグッズをたくさん買っていたという両親と姉。
家族が毎試合見に来たくなるよう、田村俊介選手にはレギュラーをつかみ取ってほしいですね!
最後までご覧いただきありがとうございました♪