佐藤蓮選手は、2020年に行われたドラフト会議で3位指名を受けた中継ぎ投手です。
2024年9月30日の対横浜戦で1軍デビュー。
見事3者凡退に打ち取り、鮮烈なデビューを飾りました。
1軍デビューした際は、家族や知人から連絡が殺到。
「上(1軍)で投げて、みんなも家族も喜んでくれた。支えてくれている人たちが喜んでくれれば僕もうれしいので、よかった」
引用:サンスポ
と、優しいコメントを残しました。
2020年ドラフトと言えば、阪神では伝説のドラフトと呼ばれるぐらい豊作だったことが知られています。
1位に4球団競合した佐藤輝明選手を引き当て、
2位も伊藤将司選手!
5位に村上頌樹選手、6位に中野拓夢選手、
8位に石井大智選手と
下位指名の選手にも恵まれたよ!
他にも芽が出る選手が出てくるんじゃないかと期待されている中での、佐藤蓮選手の1軍デビュー。
1軍デビューまでの道のりは、決して楽なものではありません。
佐藤蓮選手は2年目の段階で育成落ち。
「(来季)ダメだったら終わるくらいの気持ちで死に物狂いでやるしかない」
引用:日刊スポーツ
とコメントした佐藤蓮選手は、2024年7月20日に支配下登録を勝ち取り、1軍登板に繋がったのです。
学生時代も波瀾万丈な野球人生を送っているため、佐藤蓮選手を支え続けた家族についても気になるところです。
今回は、佐藤蓮選手の実家家族や、学生時代について調査しましたのでまとめていきます。
佐藤蓮選手の実家家族構成は?野球を始めたきっかけは?
佐藤蓮選手の実家家族構成は、両親と兄です。
父親は慶典さんという名前で、2020のドラフト会議時点で49歳でした。
2024年に53歳か54歳になる年齢と思われます。
顔写真や職業が明らかになっていないことから、一般のサラリーマンとして働いている可能性が高そうです。
兄は、悠さんという名前で、佐藤蓮選手の3~4歳年上です。
父親や兄がいる影響から野球を始めたのかと思いましたが、佐藤蓮選手が野球を始めたのは祖父の影響であることが判明しています。
佐藤蓮選手の祖父は大の巨人ファン。
祖父に野球を教わってから、小学4年生で少年野球チームに入団しました。
佐藤蓮選手が阪神から指名された時、
巨人ファンのおじいちゃんはどう思ったんだろ…
流石に孫がプロ野球選手になるんだし、
喜んでくれたはずだよ!
ちょっと複雑だったかもしれないけど…
佐藤蓮選手の母親はどんな人?ドラフト指名後は大号泣!?幼少期の思い出は?
佐藤蓮選手の母親は、智恵子さんという名前です。
2020年ドラフト会議の時点で51歳だったため、父親とは2~3歳差だと考えられます。
ドラフト3位指名の知らせを聞いた佐藤蓮選手は、母親に電話し、
「今までありがとう。やっと甲子園に連れて行けるね」
引用:デイリースポーツ
と声をかけたとか。
佐藤蓮選手は高校時代、甲子園の出場経験がありません。
その経験から出た言葉だと思われます。
母親は、佐藤蓮選手のドラフト指名直後から涙が止まらなかったそうです。
「蓮は恵まれているんです。小・中・高、大学でも指導者の方に目を掛けてもらって…」
引用:デイリースポーツ
息子の夢が叶った時に、すぐ指導者への感謝が述べられる優しい母親であることが伝わってきます。
母親によると、佐藤蓮選手は幼い頃から活発な子供だったそうです。
活発すぎて、すぐどこか行ってしまう佐藤蓮選手。
すぐに見つけられるように、母親は派手な服を着せていたと語っています。
佐藤蓮さんは、幼少期から大事に育てられてきたことが伝わってきますね。
佐藤蓮選手の小学生~中学生時代のエピソードは?
佐藤蓮さんは小学生の時点で身長170㎝超え。
体格に恵まれていた佐藤蓮さんは、小学生時代は投手ではなく捕手をしていました。
この頃の憧れの選手は、阿部慎之助監督だったそうです。
巨人ファンの祖父の影響を感じるね!
中学時代に所属した少年野球チームで投手に転向。
当時の監督は佐藤蓮さんの才能を見抜き、投手転向を勧めたそうです。
この慧眼が無ければ、ドラフト指名されることはなかったかもしれません。
しかし、制球が定まらないことが当時の課題でした。
ただ、この頃から球速は武器であり、中学生の時点で球速136㎞を記録。
中学3年生の頃には静岡県選抜とU-15日本代表にも選ばれました。
佐藤蓮選手は高校時代に驚きの診断を受けていた!?エピソードは?
佐藤蓮さんが進学した飛龍高校野球部で、当時監督を務めていた浜野洋さんは、投手の経験不足と佐藤蓮さんの優しい性格が投手として結果が出せない原因だと見抜いていました。
「性格がすごく優しいんです。
性格が邪魔をしてしまう。
バッターに対して当てるぐらいの気持ちを持ってインコースをえぐれと言っていました」引用:デイリースポーツ
初登板でインコース攻めしまくった人とは思えない…
高校2年生の時、試合で結果を残せなかった佐藤蓮選手に対し、監督は荒療治に出ます。
三重県への遠征に帯同していた佐藤蓮選手を、電車で静岡に帰らせたのです。
決して監督が佐藤蓮選手を嫌っていたわけではなく、佐藤蓮選手を見張るようにコーチに指示。
コーチから自主練しているとの報告があり、佐藤蓮選手はこれから変わっていくと監督は感じていました。
その後、佐藤蓮選手は球速140㎞を記録。
高校3年生の時には背番号1を与えられ、エースとしての活躍が期待されましたが制球難は改善されません。
練習試合ではピッチャーライナーが直撃し、病院で精密検査を受けることになります。
そこで医者から言われたのは、「靱帯がまだ子供」という衝撃の事実でした。
投手として活躍できないと判断された佐藤蓮選手は、野手へ再転向。
最後の県大会では本塁打を放ったものの、甲子園出場は果たせませんでした。
佐藤蓮選手の大学時代のエピソードは?
上武大学では投手に再転向し球速150㎞を記録。
しかし、ケガによりなかなか投げられない日々が続きます。
1年冬には右肘を痛め、遊離軟骨が見つかったため手術し除去。
2年夏から投球は再開でき、レントゲンでも異常がないと言われたものの、天候が優れない日は肘に違和感があったそうです。
2020年1月には、右太もも裏の肉離れによりキャンプに帯同できず。
春のリーグ戦はコロナの影響で中止になってしまいました。
佐藤蓮選手は、自粛期間中をマイナスに捉えず自主トレに没頭。
188㎝102kgという恵まれた体格を作り上げました。
佐藤蓮選手が一気に注目を集めたきっかけになったのは、2020年8月30日に行われた対ロッテ2軍戦です。
球速155㎞を記録し、2回無失点に抑えた佐藤蓮選手は、一気にスカウトから注目を集めます。
関甲新大学野球秋のリーグ戦では、3回8三振という好投を見せ優勝に貢献しました。
公式戦は秋のリーグ戦でしか登板していない佐藤蓮選手は、阪神からの上位指名に驚きを隠せず、
「自分はこれまで結果を残してきた選手じゃないので、3位という評価にびっくりしています」
引用:デイリースポーツ
とコメントを残しました。
現在の佐藤蓮選手の目標は、球速160㎞に到達すること。
速球派投手として、一花咲かせてほしいですね。
佐藤蓮選手が野球を始めたのは祖父がきっかけ!ケガに苦しんだ学生時代を過ごした!
佐藤蓮選手の実家家族構成は両親と兄です。
名前や年齢以外の情報は明かされていませんでした。
佐藤蓮選手は父親や兄の影響ではなく、巨人ファンの祖父に野球を教わり、小学4年生から少年野球チームに入団しました。
母親によると佐藤蓮選手は、幼少期から活発で知らない間にどこかに行ってしまうような子供だったそうです。
そのため、母親はすぐに佐藤蓮選手を探せるように派手な服を着せていました。
佐藤蓮選手が阪神から3位指名を受けた際、母親は号泣。
佐藤蓮選手を指導してきた監督やコーチに感謝の言葉を述べていました。
小学生の頃は捕手を務めていた佐藤蓮選手は、中学2年生の時に投手転向。
高校生の時は「靱帯がまだ子供」という医師の診断を受けたため野手に再転向、大学入学後に投手に転向するという野球人生を送りました。
大学時代は故障に苦しみ、コロナ禍が重なってしまったため4年秋にやっと公式戦で登板機会が巡ってきました。
8月30日に行われた対ロッテ2軍戦では球速155㎞を記録し、2回無失点に抑えたことからスカウトの注目を集めるようになります。
秋のリーグ戦では野球部の優勝に貢献。
なかなかアピールの場に恵まれませんでしたが、阪神からの3位指名を受けました。
苦労人かつ遅咲きともいえる野球人生を送って来た佐藤蓮選手が、2025年シーズン以降にどのような活躍を残せるか注目していきましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました!